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行開け
 マシュマロ 
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  聖夜は明けて

 

 ふわふわと身体を揺さぶられるような感覚に目を開ける。
「……おはよう、匠海」
 懐かしい声が自分を呼ぶ。
 その声に意識が一気に覚醒する。
「……」
 目の前に、一人の女性ただ追い続けたひとがいて、こちらを見ている。
「……和、美」
 掠れた声で漸くその名を口にする。
「今日はねぼすけさんね、匠海」
 そう言って、目の前の女性――和美は、匠海に微笑みかけた。
「……夢、だよな……?」
 匠海が掠れた声のまま、呟く。
 目の前に和美がいるはずがない。何故なら彼女は七年前――。
「何言ってるの、早く起きてよ匠海。今日はユグドラシル世界樹のクリスマスイルミネーション見に行くって約束したじゃない」
 そう言いながら、和美はゆさゆさと匠海を揺さぶる。
「あ、ああ……」
 匠海が慌てて身体を起こし、ベッドから降りる。
「朝ごはん、できてるよ」
 そう微笑む和美の笑顔が、眩しかった。

 

 ユグドラシル前のバス停でバスを降りて二人で歩く。
 和美が匠海の手に指を絡ませ、そっと握ってくる。
 匠海の心臓がどきりと跳ね上がり、思わず和美を見る。
 楽しそうな彼女の横顔に、今までのことは全て夢だったのかと、そんな思いが胸をよぎる。
 同時にフラッシュバックする事故の記憶。
 何が夢で、何が現実なのか分からなくなる。
「……匠海?」
 そう、呼ばれて匠海ははっとして和美を見た。
 和美が心配そうな眼で匠海を見ている。
「どうしたの、体調悪い?」
 顔色悪いよ、と和美が匠海の顔を覗き込む。
「……いや、大丈夫だ」
 そう言って、安心させるように笑おうとするが笑い方が分からない。
 どうやって笑っていたっけ、と思い出そうとするが思い出せない。
 不安が匠海に押し寄せ、押し潰そうとする。
「匠海、」
 匠海の指に自分の指を絡ませたまま、和美が自分の胸に手を当てる。
「大丈夫、わたしはここにいる
「和美……」
 そうだ、今までのことは全部夢だったんだ、と匠海は自分に言い聞かせた。
 和美は目の前にいる。この指の感触も、温かさも、これが現実。
 思わず、匠海は和美を引き寄せた。
 そのまま、強く抱きしめる。
「匠海、どうしたの? 朝から変だよ」
「……悪い夢を見た」
 そう答えた自分の声が震えていることに気づき、匠海は自分がどれだけあの事故の記憶を抑え込もうとしていたか漸く理解する。
 だが、それは夢だった。
 あんなことはなかったのだ
 大丈夫、と和美が言う。
「わたしはどこにも行かない
「……ああ、」
 匠海が頷き、腕の力を緩める。
「行こ?」
 そう言いながら和美が匠海の手を引く。
 その薬指に光る指輪を認め、匠海も小さく頷き、歩き出した。

 

 ユグドラシル世界樹のビル前の広場。
 普段はARビューで巨大な世界樹が見えるようになっているが今はクリスマス、世界樹もクリスマス仕様となりその枝々に様々なオーナメントを浮き上がらせている。
 見上げると頂上には一際大きな星型のオーナメントベツレヘムの星が輝き、荘厳さを醸し出している。
「凄いね、匠海!」
 和美が目を輝かせて巨大なツリーを見上げる。
 その隣で、匠海はツリーではなく和美を見て頷いた。
「……ああ、」
 隣に立つ和美の笑顔が眩しい。
 時間は日も落ちた宵時、辺りは暗くなってきているが彼女の笑顔だけは眩しく見える。
「そろそろかな?」
 互いの指を絡ませ、和美が呟く。
 その言葉が終わるタイミングで、辺りの景色が一変した。
 ARビューによる一面の雪景色。
 雪とは無縁のサンフランシスコ、世界樹の周りだけ一面の銀世界へと変わっている。
 鈴の音と共に天からトナカイに引かれたソリが飛来し、赤い衣装の老人が「メリークリスマス!」という言葉と共に白い袋からプレゼントの入った箱をばら撒く。
「うわぁ……」
 匠海から手を離し、和美が天から舞い降りるプレゼントボックスに手を伸ばす。
 和美の手の中で、プレゼントボックスが小さく震え、ポンッという音と共にプレゼントへと変化する。
「Nileのクーポン!」
 和美が嬉しそうに笑う。
 それを見ていた匠海の手元にも小さなプレゼントボックスが舞い降り、中身を表示させる。
「……」
 それは、決して安くは無いジュエリーショップのクーポン。
 結婚指輪はここで買おうと思っていたことを匠海は思い出した。
「匠海!」
 突然、そう声をかけられ匠海が頭を上げる。
 いつの間にか和美は広場の中央付近に移動していた。
 色とりどりのARビューのイルミネーションに囲まれ、和美が踊るようにくるりと回る。
 それから彼女は匠海に駆け寄り、隣に立つ。
 匠海が思わずその肩を抱く。
ずっとこれが見せたかった
 口をついて出た言葉にぎょっとする。
 あの事故が夢ならこの景色は知らないはずだ。
 それなのに、何故過去に見てきたかのように言ったのか。
 和美が不思議そうに匠海を見上げる。
 それから、いつもの悪戯を思いついたような笑みを浮かべ、匠海に腕を伸ばす。
 匠海の首に腕を絡ませ、彼女は匠海を見上げた。
 それから、彼の耳元に口を寄せる。
「匠海……貴方、今、幸せ?
「っ……!」
 匠海が硬直する。
 幸せだ。今が幸せの絶頂だと、即答したい。
 だが、頭が、心がそれを拒絶する。
 ――現実の自分はどうなんだ。
 匠海のその硬直を答えと認め、和美が彼の耳元から離れ真っ直ぐ彼を見る。
 そして、寂しそうに微笑んだ。
ごめんね?」
 直後、匠海の唇に柔らかい感触が重なる。

 啄むように、唇だけが触れるそのキスに匠海が我に返る。
「和美……」
 匠海が彼女の名を呼ぶ。
 ――嫌だ、離れたくない。
 今、こうやって触れているのに、何故か和美が遠く感じる。
「わたしは、貴方に幸せになってもらいたかった」
 和美の声が遠く感じる。
 彼女は目の前にいるのに、とても遠い。
「愛してる、匠海」
 その声が、かすかに聞こえる。
「俺も! 俺も、お前を愛してる!」
 手を伸ばし、匠海は叫んだ。
「だから、お前の側に――」

 

「和美!」
 そう叫ぶ、自分の声で目が覚めた。
 視界に入る、見慣れない天井に一瞬、混乱する。
 ここは、と身体を起こし、そこで匠海は漸く自分がウエストマーク フェアバンクス ホテルの客室にいることを思い出す。
「……夢、か……」
 知らず、首元の指輪を握りしめ、呟く。
 そう呟いたものの、現実これが悪い夢で、目が覚めていないだけではないのかという思いが胸をよぎる。
 ――いや、
 これが、現実。
 和美は七年前、死んだ。自分の目の前で。
 その現実を受け入れ、生きてきたはずだ。
 いや、
 ――まだ、受け入れられないのか。
 そっと自分の唇に触れる。
 あの、和美の唇の感触を思い出す。
 あの瞬間の感触はリアルで、夢だと思いたくなかった。
 それでも、夢は覚めた。
 あれは、匠海がずっと願い続けてきた叶わぬ夢。
 今頃になってサンタクロースはクリスマスプレゼントを持ってきたのか、と匠海は呟いた。
 たとえ夢だったとしても、その中で彼の願いを叶えたのかと。
 だとしたらサンタクロースは残酷な奴だな、とふと思う。
 どうせ叶えるのなら、和美の許へ逝かせてくれてもよかったろうに、と。
 その時になって、匠海は自分の頬が濡れていることに気がついた。
 手の甲で拭うが、溢れる涙は止まらない。
「和美……」
 指輪を握りしめた手を額に寄せ、匠海が低く呟く。
 その肩が細かく震える。
「どうして……」
 ――どうして、俺を置いて。
 溢れる涙をもう拭うこともせず、匠海は嗚咽した。
 七年も経って、その間に様々なことがあって、乗り越えたと思っていた。
 だが、そんなことはない。
 いつまでも和美の背中を追いかけて、届かないその背に手を伸ばし、ひたすらに追いつくことだけを願っている。
 追いつくためなら無理なことも繰り返してきた。
 だが、何度倒れても追いつくことはできない。
 現実に引き戻され、「お前の居場所はここだ」と言わんばかりに目が覚める。
 もう嫌だ、と匠海は絞り出すように呟いた。
 いつまで、俺は生きればいいのだ、と。

 

 

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