ただこの一瞬を抱きしめて
「
ベッドと通路を遮るカーテンを開け、
が、そこにいると思った辰弥はおらず、もぬけの空の寝具があるだけ。
「んー、
特殊第四部隊の追跡を振り切ってPMC「シンギング・ドルフィン」の潜水空母に身を寄せて数日、桜花までは二週間の船旅と聞かされ辰弥と日翔は軽い軟禁状態となっていた。
PMCが所持する潜水空母に身を寄せたのだ、
それは理解していたため辰弥も日翔もおとなしく二人にあてがわれた居住区画の一角で過ごしていた。
鏡介はコマンドギアのリミッター解除による負荷と片腕片脚を失った都合上医務室で絶対安静の状態となっている。
軽い軟禁状態とはいえ居住区画をうろつく程度は許されているため二人は体が鈍らないように軽い筋トレ程度は行っている。
その汗を流したくてシャワーを浴びられないか確認しに行った日翔だったが、辰弥が今いないということはトイレにでも行っているのだろう、と考え先に浴びるか、と収納から特別に貸与されたTシャツと下着、タオルを手に取った。
鼻歌を歌いたくなるのをぐっと堪えながらシャワールームに向かい、扉を開ける。
そして、硬直する。
「――え?」
日翔の目の前で辰弥も硬直する。
「どうやって開けたの」
タオルで髪についた水滴を拭きながら辰弥が呆然と尋ねる。
「え、普通に開けた」
「鍵は」
「かかってなかったぞ」
そう言いながらも日翔は目の前の辰弥の裸体から目が離せなくなっていた。
細身ながらも引き締まり、腹筋も程よく割れた上半身。
下半身もしなやかで無駄がない。
ごくり、と日翔が唾を飲む。
辰弥の裸体を目撃するのは初めてではない。
しかし、大抵は辰弥が恥ずかしがってすぐに隠すか風呂で倒れた等の緊急時であったためじっくりと見る機会はなかった。
当の辰弥は全く想定していなかった事態に完全に硬直してしまったか、頭にタオルを被せたまま日翔を呆然と見つめている。
ぽたり、と辰弥の髪の先から水滴が落ちる。
「……」
日翔の視線が上から下へ、下から上へと流れる。
と、その視線が途中で止まる。
「……」
言葉が出ない。
鏡介から聞かされて、理解はしていたつもりだった。
だが、こうやって実際に目の当たりにすると、言葉が出ない。
「……あ、」
日翔の視線に硬直が解けた辰弥が頭のタオルを下ろす。
さりげなく、それでも隠すように下ろされたタオルの先は股間ではなく腹部。
無言で日翔は手を伸ばした。
辰弥の、タオルを握る右手を左手で掴む。
「ちょ、日翔」
「辰弥……」
絞り出すように出された日翔の声は掠れていた。
「……本当に、ないんだ」
人間なら腰くらいの高さにある母親の胎から産まれた証とされるその痕が、辰弥には存在しなかった。
「開発に約三年、培養層の中で漸くヒトの形をとるようになった、という記述がある」と言った鏡介の言葉を思い出す。
本来の生物が辿るべき発生の手順を踏まずに生を受けた辰弥。
どうしてこんなことが、という思いが日翔の胸を締め付ける。
同時に、だからか、という思いが脳裏を過る。
辰弥と日翔はただの仲間という関係ではなかった。
ある時を境に、それ以上の深い関係となっている。
身体を重ねたことも一度や二度ではない。
だが、それでも辰弥は頑なに着衣を全て脱ぐことを拒んだ。
素肌は見られたくない、と日翔は何度直で触れ合うことを拒まれたか。
それでも日翔は「辰弥が嫌がることをしたくない」と着衣のまま身体を重ねた。
その理由が、これだったのかと。
「自分が人間ではない」その証を見せたくなかったのだと。
ぽたり、ぽたりと辰弥の前髪から水滴が落ちる。
「……気持ち悪いよね」
ごめん、と辰弥が謝罪する。
「何を――」
そう言いかけて、日翔は一瞬躊躇した。
それは誓って言える。
辰弥がどのような存在であれ日翔は辰弥のことを大切に思っていたし幸せにしたいと願っていた。
たとえどのような苦難の道であっても道を違えたくない、死が互いを分かつまでは添い遂げたいと。
要するに、日翔は辰弥を愛していた。
そこに人間であるかそうでないかなどという考えは必要ない。
ただそこにいてほしい、俺の目の前からいなくなってほしくない、と。
それなのに、どうして一瞬躊躇してしまったのか。
どう声をかけていいか分からなかった。
「何をバカなことを」と言えばよかったのか? 「気持ち悪くない」と言えばよかったのか?
いや、そんな言葉は辰弥に届かない。
今、辰弥に必要な言葉は――
「辰弥、」
日翔が辰弥にそっと声をかける。
びくり、と辰弥が身を震わせる。
握ったままの辰弥の左腕を引き、そのまま抱き寄せる。
「お前は、お前だ」
「あき、と……」
一度腕の力を緩め、辰弥の顔を見る。
辰弥の深紅の瞳が揺らいでいる。
その中にある怯えの色に日翔はふっと笑みを浮かべ、それから辰弥の額に自分の額をこつんと当てた。
「お前が人間じゃなかろうと、どのように生まれようと、関係ねえよ。お前はお前だ。鎖神 辰弥という一人の――大切な……」
違う、「大切な」仲間ではない。そんな陳腐な言葉で済ませられる程度の感情ではない。
もっと大きく、もっと深い――想い。
鏡介は自分たちの関係に気が付いているだろう、とは日翔は考えていた。
訊かれたとして、否定するつもりも隠すつもりもない。
それに、鏡介も分かってくれるはずだ。鏡介もまた、辰弥を大切に思っているから。
辰弥の幸せを第一に考えなければ自分の身を捨てるような無茶などするはずがない。
同時に思う。
鏡介のあの行動は辰弥に対してだけではないということを。
鏡介は辰弥と日翔の二人が逃げ切れるように、とあのような行動を取った。
せめて、お前らだけでも逃げろと。
二人で生き延びてくれと。
正直なところ鏡介にそんな無茶はさせたくなかった。
鏡介は鏡介で他の何にも代えられない大切な仲間だから。
それでも鏡介が自分たちのために身を削ったことに関しては悪いと思っているし感謝もしている。
それに、最終的には三人とも生きている。あのカグラ・コントラクター相手に逃げ切ったのだ、大金星以外の何物でもない。
だからこれ以上深くは考えないようにしよう、と日翔は考えていた。
元々考えるのは苦手だったし誰も死ななかったのだから深く考えたところで仕方がない。
しかし、辰弥に関しては話は別だ。
辰弥はいまだに自分が救出されたことを信じていない。
日翔や鏡介が自分をどこか別の組織に売り払うのではないかと怯えている。
そんなことをするはずがないと日翔は何度も口づけと共に伝えてきたがそれでも辰弥は自分が何もかもを知っているうえで隠してきたことを負い目に持って、許してもらえないと震えている。
どうすれば伝わるだろう、と考えて、いや、考えるより前に日翔は動いていた。
ちゅ、と辰弥に唇を重ねる。
身体を拭き始めたばかりだったか、濡れた唇がひんやりとした感覚を日翔に与える。
何度も口づけながら日翔は辰弥とともにシャワールームに押し入り、後ろ手でドアを閉め、鍵をかける。
「辰弥、」
何度も辰弥の名を呼びながら日翔が辰弥に口づける。
辰弥がおずおずと日翔の服の裾を掴む。
辰弥の手から離れたタオルがぱさり、と濡れた床に落ちる。
触れるだけだった二人のキスは気付けば深いものへと変わっていった。
どちらからとも言わずに舌を絡ませ、互いの体温を混ぜ合わせていく。
「日翔……」
何度目か、唇を離したタイミングで辰弥が日翔を呼ぶ。
「……抱いて」
そう、か細い声で日翔に囁き、辰弥はぎゅっと日翔に回した腕に力を入れた。
それに返事をするかのように日翔がもう一度辰弥に唇を重ね、強く抱きしめる。
そのまま辰弥を壁に押し付け、日翔は辰弥の肌に指を這わせた。
あ、と辰弥の口から洩れる声を飲み込むかのように唇を重ね、さわさわと身体をまさぐる。
「ん……っ……」
日翔の手が動くたびに辰弥がびくびくと体を震わせる。
日翔によって快楽を教え込まれた身体はすぐに反応し、物欲しそうに日翔を誘う。
足りない、と蕩け始めた辰弥の眼が日翔に訴えかける。
つっ……と日翔の指が辰弥の腹を滑る。
そして、本来なら臍のある位置で止まった。
辰弥の眼が見開かれる。
「そこ、は……」
やだ、と言おうとした辰弥の口を自分の口で塞ぎ、日翔が執拗にそこを責める。
「……すべすべだな」
つるりとした腹に指を滑らせ、日翔が呟く。
「あきと、やだ……」
いやいやと力なく首を振る辰弥にちゅ、と口づけ、日翔が笑う。
「愛してる、辰弥。お前が人間でなかったとしても、そんなの関係ない」
「あき、と……」
いいの? と辰弥が唇を震わせる。
「むしろお前は俺でいいのか? こんな傷だらけの身体で、余命宣告されてる奴だぞ?」
確実にお前を未亡人にするがいいのか、と訊きたかったがそれは我慢した。
その代わり、返事を待たずにぎゅ、と抱きしめる。
「あきと、おれは……」
日翔の胸に顔を埋め、辰弥が答える。
「おれは、あきとが、いい」
そうか、と日翔が辰弥を抱きしめる腕に力を込める。
本当はもっと力いっぱい抱きしめたかったが加減ができないのでほんの少しだけ。
俺が病気でさえなければ、と日翔は己を呪った。
病気でさえなければ、
しかし病気にならなければ日翔は暗殺の道に進むことはなかった。
この道に進んでいなければ辰弥と出会うこともなかっただろう。
そんな矛盾が辛くて、泣きたくなる。
本当はずっと一緒にいたい。共に老いていきたい。
しかしそれは叶わぬ夢。
あと数年も生きられない命に自分の運命を呪いたくなる。
死にたくない。辰弥と一緒に生きていたい。
辰弥と出会う前は借金さえ返済できれば死んでもいいと自分の運命を受け入れていた。受け入れていたつもりだった。
だが、辰弥と出会い、自分の気持ちに気づき、どちらからともなく口づけを交わすようになり、その先へ進んでしまったことによってはじめて嫌だ、と思うようになった。
死にたくない。もっと一緒にいたい。
辰弥の素性を知った今、もっと一緒にいろんなものを見て経験していきたい。
それなのに、運命が、それを拒絶する。
「辰弥……」
――俺、死にたくないよ。
その言葉は決して口にはしない。
「その時」が来ても辰弥には笑って見送ってもらいたいから。
幸せだったと思いたいから。
だから、今この一瞬を大切にしたい。
とく、とく、という辰弥の鼓動が直に聞こえてくる。
たまらなくなって日翔は辰弥の頬に手をかけて上を向かせ、唇を重ねた。
舌を絡ませ、吐息まで全て飲み込むように貪っていく。
欲しい。もっと欲しい。辰弥の全てが、欲しい。
辰弥に自分がいた証を刻み込みたい。
日翔の動きに、辰弥はもう嫌とは言わなかった。
全てを日翔に委ね、気持ちよさそうに目を閉じる。
「あきとの、すきにして」
小さく頷き、日翔は愛撫を再開した。
◇◆ ◆◇◆
ノックの音で我に返る。
『まだ出ないんですかね。後がつかえてるんですけど』
シャワールームの外から聞こえる声にやばい、と日翔が呟く。
もっと余韻に浸っていたかったがそんな時間はない。
「辰弥、大丈夫か?」
腕の中で脱力している辰弥に声をかける。
「だい、じょうぶ」
立ったままでことを済ませたのだ、足元が覚束ないが辰弥はそれでも大丈夫と日翔を見た。
「……ふふっ」
「なんだよ」
もう外にはバレているだろうがそれでもひそひそ声で日翔が訊ねる。
「日翔、ありがとう」
そう言う辰弥の眼にはもう怯えも戸惑いもない。
それが嬉しくて思わずぎゅ、と抱きしめ、それから日翔は辰弥の頭を撫でた。
「……出るか」
「うん」
出る直前に改めてシャワーで全身を流し、互いの身体を拭く。
着替えを身に着け、二人はシャワールームを出た。
外で待っていたクルーの視線が少々痛いが気にせず通り過ぎ、あてがわれた居住区画の一角に戻る。
隣同士でベッドに腰かけると二人の手が触れ、二人は顔を見合わせた。
「ふふ、」
日翔を見て辰弥が笑う。
辰弥の頭を撫で、日翔は今はただこのひと時を楽しもう、そう思った。
余命のことや今後のことはその時に考えればいい。
今はただ、二人でいられるこの瞬間を大切にしたい、と。